【史跡】滋賀県・清少納言が詠んだ「逢坂の関」と近江神宮
|
2024年のNHK大河ドラマ「光る君へ」にも登場した清少納言は、平安文学の代表作である随筆『枕草子』の作者であり、歌人としても活躍した人物。彼女が詠んだ歌は、小倉百人一首62番に選ばれています。
‟夜をこめて鳥のそら音ははかるとも よに逢坂の関はゆるさじ”
上の句は、中国の歴史書『史記』にある「斉国の公族である孟嘗君が秦国から逃げる時に、一番鶏が鳴くまで開かない函谷関の関所を、部下に鶏の鳴き真似をさせて開けさせた」という故事をふまえたものです。「逢坂の関」は、今の滋賀県大津市にあった関所のこと。恋の歌においては、「逢坂の関を越える」は「男女が逢う」、「一線を越える」という意味を持ちました。清少納言が藤原行成(ゆきなり)へ送った歌であり、「孟嘗君のように鶏の鳴き真似をしたとしても、この逢坂の関は絶対開きませんよ」という表の意味と、「あなたが私と2人で逢おうとしても、決して許可しませんよ」という意味を掛けた、大人の遊び心あふれる返歌です。『史記』を踏まえた歌を返した清少納言が、いかに教養にあふれ、機知に富んでいた人物であったかを感じさせます。
逢坂の関がある大津市の近江大津宮(大津京)跡には、天智天皇をまつる近江神宮があります。天智天皇は、小倉百人一首の巻頭に「秋の田のかりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ」という歌を残しました。そのため、近江神宮は「かるたの殿堂」と称され、競技かるたの大会が盛んに開かれています。競技かるたの世界を描いた、映画「ちはやふる」のロケ地にもなったことから、聖地巡礼に訪れる人も少なくありません。小倉百人一首の世界を満喫できるスポットです。
|
 |
|
|
▲逢坂の関
|
▲近江神宮
|
|
|
【グルメ】京都府・小式部内侍が詠んだ「天橋立」と地酒
|
年少ながら和歌を詠むのが上手だと評判の女官だったのは、和泉式部の娘・小式部内侍。
あまりにすばらしい和歌を詠むので、和歌の名手である和泉式部が代作しているのではないかと、うわさされるほどだったといわれています。和泉式部が遠い丹後国に赴いていたある日、小式部内侍は歌を詠み合う会に招かれます。そこにいた藤原定頼から、「歌会で詠む歌はどうするつもりですか。お母様のいらっしゃる丹後の国へは使いは出しましたか。まだ使いは帰ってこないでしょう」と、言われた小式部内侍が即興で歌ったのが、小倉百人一首60番の歌です。
‟大江山いく野の道の遠ければ まだふみも見ず天の橋立”
丹後へ行くのには生野の里を通りました。この歌は「大江山へいく野の道(生野の道)は遠いので、丹後にある天の橋立の地を踏んだことも、母からの手紙も見たこともありませんよ」という意味です。「生野」と「行く」を掛け、さらに「踏みもみず」と「文も見ず」を掛けた華麗な歌。この歌を即興で詠むことで、小式部内侍はこれまで詠んだ歌も、すべて自分の才能の賜であることを証明してみせました。
歌の中に登場した天橋立がある京都府の丹後地域は、稲作発祥の地としても知られています。また、大正から昭和にかけて、全国に名をとどろかせた「丹後杜氏(とうじ)」の郷でもあります。今なお、その技術を引き継ぎ、丹後の水と米を用いて独自の伝統や特徴を活かした酒造りをしている酒蔵があります。歴史と伝統を守り続けている酒蔵を巡りながら、小式部内侍の和歌に思いをはせると、力がわいてくることでしょう。
|
 |
|
|
▲天橋立
|
▲地酒
|
|
|
【歴史】兵庫県・淡路島を望む須磨と源氏物語
|
兵庫県神戸市の須磨は、平安時代には在原行平が流された人里離れた寂しい場所として知られていました。この行平が綴った歌をヒントに、紫式部が創作したといわれているのが、『源氏物語』の「須磨の巻」です。主人公・光源氏は、帝に嫁ぐ予定の朧月夜(おぼろづきよ)との禁断の恋が発覚してしまったことで、失脚してしまいます。今以上の禍いが起こるかもしれないと考えた光源氏は、謹慎の意を示すために、自ら須磨に退去することを決意。妻や愛人たちを都に残し、わずか数人の家来を従えて寂しい暮らしを送ります。
そんな須磨で、光源氏は「友千鳥もろ声に鳴く暁は 一人寝覚めの床も頼もし」という歌を詠みました。千鳥は、歌の世界では冬の浜辺を象徴する鳥で、妻や友人を慕って鳴くもの寂しいもの。ひとり寝の寂しさを、千鳥の声に慰められる様子を表現しています。この歌を踏まえて、源兼昌が須磨の関守の孤独な気持ちを思い描いて詠んだのが、小倉百人一首78番の歌です。
‟淡路島かよふ千鳥のなく声に いく夜ねざめぬ須磨の関守”
須磨は、摂津国(いまの兵庫県)の歌枕。かつては関所が置かれていました。この歌は、「荒涼とした須磨で、海向かいに見える淡路島から千鳥が渡ってくる。その寂しい鳴き声に、関の番人は幾夜も眠りから起こされたのだろうか」という意味です。源兼昌は、光源氏の孤独な姿を関の番人の姿に重ねたのでしょう。
今も須磨では、昔と変わらずに海の向こうに淡路島を望めます。また、須磨の関の守護神を祀ったと伝わる「関守稲荷神社」には、この歌の句碑も建立されています。時代は移り変わり、須磨は多くの人が集うビーチリゾートとして大きく変貌を遂げましたが、源兼昌が詠んだ和歌の世界や源氏物語の世界は今もこの地に息づいています。
|
 |
|
|
▲須磨の海岸
|
▲2千円札に描かれた光源氏
|
|
|
【観光】茨城県・陽成院が恋の歌で詠んだ筑波嶺とロープウェイ
|
小倉百人一首13番の歌は、清和天皇の第一皇子であり、第57代天皇として即位した陽成院が詠んだ恋の歌です。
‟筑波嶺(つくばね)の峰より落つるみなの川 恋ぞつもりて淵となりぬる”
筑波嶺は、現在の茨城県にある筑波山のことです。山頂が男体山と女体山の2つに分かれていることから、万葉の昔からよく歌に詠まれました。みなの川(男女川) は、男体山と女体山の峰から流れ出る川で、筑波山の麓を流れて桜川に合流し、霞ケ浦へと流れ込みます。歌は、「筑波のいただきから流れ落ちてくる小さなせせらぎだった男女川がだんだんと深い淵になるように、次第にあなたのことを想うようになり、今では深く愛するようになりました」という意味が、筑波山の川に込められて詠まれています。
この歌は後撰和歌集にも選定されていて、その中の詞書によると、「つりどの(釣殿)のみこ(皇女)につかはしける」と書かれており、後に陽成院のお后となる光孝天皇の娘・綏子内親王(釣殿の皇女)に贈った求婚の歌とされています。天皇からの恋の歌に、皇女も心を打たれたのかもしれません。
歌の舞台となった筑波山は日本百名山にも選ばれており、登山やハイキングが楽しめる山としても多くの人々から親しまれています。本格的な登山家や家族連れまで、幅広く楽しめる登山道やハイキングコースがいくつか用意されていますが、「筑波山ロープウェイ」や「筑波山ケーブルカー」を利用すると、気軽に男体山や女体山の山頂付近まで行くことができます。このロープウェイの最大の魅力は、1年を通して関東平野を一望できる絶景。霞ケ浦や太平洋、さらに天候の良い日は東京都心のビル群をはじめ、東京スカイツリーや富士山までも見渡すことができます。
|
 |
|
|
▲筑波山
|
▲筑波山ロープウェイ
|
|
|
千年の時を経てもなお、歌を詠んだ気持ちに共感できる小倉百人一首。ゆかりの地を巡ることで、三十一文字で表現された世界が、さらに色鮮やかに動き出すことでしょう。時空や想像をこえた出会いは、思いがけず身近な場所にあるのかもしれません。
|
|
OCN おすすめ TOPICS |
irumo |
|
irumoサイトでおトクに最新スマホを購入しませんか?
詳しくはこちら
|
OCN インターネット × ドコモ光 |
|
新規契約で1ギガ3.7万円、10ギガ5.5万円現金還元!10ギガは最大6か月、月額500円(税込)!他社から乗り換えで最大2.5万dポイント(期間・用途限定)
詳しくはこちら
|
|
|
dポイントのおトクなため方を学ぼう |
|
|
星座別 今日の運気予報&現在の運気 |
|
|
壁紙カレンダー |
 |
かべ紙カレンダー OCNキャラクター「ジョリーとゆかいな仲間たち」の かわいいカレンダーがダウンロードできます。
ダウンロードはこちら
|
|